営業再開について

 いつまで営業自粛を続けるべきか迷っている。当県でも自粛要請は解除されたみたいだが、一歩外に出るとマスクは必ず着ける、店などに入る時には手はアルコール消毒、これらをうっかり忘れると犯罪者のように見られてしまう。世の中にはアルコールに弱くて、消毒用でも酔ってしまう人もいる(我が娘の旦那がそう)。農協に肥料を買いに行った時も、風邪をひいてもマスクなどしそうもない野良仕事で鍛えられた様な爺っちゃんがー孫の手作りであろうか-可愛いマスクをしていたりしている。

 大して混んでいなくても店の中ではお互い一定の距離を保ち、食事中は横一線に座し、話をしない等々、新しい生活様式だそうな。

 家にいる時は無論マスクなんぞはしていないし、近所で人とバッタリと出会った時も、お互いあわててマスクをするなんて事はやりはしない。これで粒麗荘も営業を再開するとなると、人の出入りの度にアルコール消毒、家の中では全員がマスクを着け、食事も無言で・・・なんて、うっとうしくてやっていられない。この様な新しい生活様式に慣れる迄営業を再開をしないか、それとも粒麗荘の家の中、敷地内はマスク着用禁止にして再開でもしようかな?

 それと県外を跨いだ外出の自粛の件、実質県外からのお客さんは受けない様にとのお達しだと思われるが、それでは宿はやっていけない。それでなくても県外ナンバーの車は白い目で見られる事もある様だし、ましてやオートバイだと余計に不愉快な思いをさせられる事があるかもしれない。

 

 4月から営業を自粛している事で、村から助成金が1万円出た。1人10万円の定額給付金はまだ頂いていない。先日、民宿もやっている村の知人が、長野県の支援金の申請書類をダウンロードし、プリントアウトした書類を(必要な箇所に印をして)持ってきてくれた。「上村さんはパソコンは駄目だし、この様な情報にも疎いだろうから」と心配してくれたのだ。無論知らなかったし、即、必要書類は提出した。申請が通れば最大30万円支給されるとの事だが、まだ音沙汰はない。

         〜おしまい〜

 

 以上の様な理由で営業の再開は、納得出来る迄待ちたいと思います。早いとこ、今迄通り皆でワイワイ言いながら、酒を飲み交わしたいです。

 

2020年5月19日 粒麗荘・おやじ

営業自粛

ー始めにー

 4月7日に粒麗荘も営業を自粛する事に決めました。大型連休に早々から御予約をしてくださった皆さん(4月7日時点で延べ36人)、御迷惑をお掛けしました。

 一昨年の大型連休時には延べ80人強のお客さんがいらっしゃいました。うちとしても、この時期に営業が出来ないのはかなりの痛手になります。

 

ーここからおやじ便りー

 こちらも自粛一辺倒で、毎日通っている近所の温泉も、取り敢えず連休明け迄休みになってしまった。我が家では、たまにシャワーを使っていたが、ここ数年風呂は焚いていないので、これ又一騒動。1月の末から週3、4回1時間程プールを利用していたスポーツジムも、やはり暫くの間臨時休館となってしまった。漸く付き出した筋肉らしきものも、この年齢では1、2週間もすると跡形もなく消え失せてしまうのだろう。

 不要不急の外出を控えろとの事だが、これからの時期、田植えや野菜作り等の農作業、草刈りに薪割りなどで忙しくなるので、外出と云っても買い物に行く位いだろう。まぁ、後は夕方になり庭で、目の前に沈む夕陽でも眺め、猫達を侍らせ、好きな音楽を聞きながら、酒を飲んでりゃあそこそこの気晴らしになるだろう?だが、これは毎日やっているなぁ。

 

 子供の頃、近所の子供達と大勢で“鬼ごっこ”かなにかで遊んでいて、ガキ大将みたいな奴が、自分が不利なると、突然、「これは、ありぃ」と言ってルールを勝手に変えてしまう事がちょくちょくあった。子供心にも不愉快であった。

 どっかの国の大将も、皆さん自粛しましょうと言っておきながら、この大将、自分のカミさんが不利になる度、「これは、ありぃ」。夫婦愛か?にしても不愉快だ。非常時とかになると、人の上に立つ資質があるのかと疑わしい人がよーく見えてくる。どこかの県で、父親が長距離トラックの運転手をしているからー感染の危険があるからーと、その子供は入学式には出るなと言い放った校長もしかり。

 

ー終わりにー

 私共家族には、人様の騒動には全く関係なく、相変わらず自由奔放に動き廻っている猫達が7匹おります。彼らと一緒に生活しているだけでも、そこそこ楽しく暮らせています。近々、皆様との再会、一緒に酒を飲めるのを楽しみにしております。お元気で!

 

2020年4月18日 粒麗荘・おやじ

オリンピックは苦手

 今の所、雪はかなり少なくて助かっている。スキー場は大変だろうから、あまり大きな声では言えない。しかし、除雪作業と云うのはそこそこの運動量になるので、これだけ降らないと運動不足になる。そこで最近、近所を歩いてみたり、隣の中野市のスポーツ施設で、お試しのフィットネスやプールを使わせてもらっている。正式会員になると、月7千円程で平日の午後は自由に使えるそうで、どうしようかと迷っている。暖かくなると、野良仕事が忙しくなるので、時間がとれるかどうか、しかし、運動をした後の酒は特にうまいのだ。

 

 酒を飲む時は殆ど飲まないビールだが、朝と昼の食事のお菜によってはビールを飲みたくなる時がある。今日の昼は、牡蠣フライとブリカマの塩焼きだったので、迷わず黒ビールを飲んだ。40過ぎ位いから牡蠣フライが好物となった。ウスターソースで食べるのが好きだが、タルタルソースもいい。夜ウィスキーを飲む時は、途中迄炭酸水で割りハイボールにして飲んでいる。このハイボールには牡蠣フライが合うと思うが、昼からハイボールを飲む訳にはいかず、黒ビールにした。妻は牡蠣フライを揚げたら、いつも2、3個残しておいてくれるので、今晩のつまみだ。つまみと云えば、相変わらず果物をつまみにしている。今の時期、林檎は毎日1個、他に苺の2、3粒もあれば云う事なし。

 

 昔からオリンピックとか、ワールド何がしとか云うイベントが苦手である。自分から見る事はまずないが、ニュースやなんかででは一日中、勝った、負けたとやっている。一生懸命にやればどちらでも良いと思うのだが・・・。それと「日本チャチャチャ」だの「日本頑張れ」と云う応援、あの俄(にわか)ナショナリズムがどうも気になる。なので今年は多少鬱な年なのだ。

 

 今でもガラケェーを使っているが、電話会社から、もうその手の機種の故障修理はしないだの、後、何年かしたら使えなくなるなどと、送ってくる御案内でさんざん不安を煽られている。そしてスマホにすれば不安は解決などと宣(のたま)っている。今の時代でもこう云う商売が許されるんだなぁと感心する。

 写真も撮らず、メールもしない私が携帯電話に求めるのは、電話で話す事、字が大きい事の2点だけだ。今の携帯に換える時に、お店の人にその旨を伝えたが「お客さん、今の時代にそんな不便な機種ありません」と一蹴された。勧められた今の携帯電話だが、10年も経っていないのに、修理もしない不便な機種になっている。

 

 世の中にはオリンピックが苦手で、ガラケーを使い、ウィスキーのつまみに苺や林檎を好む爺はそこそこいるんではないかと思うのだが・・・。

猫がいなくなった

 猫が一匹居なくなってしまった。お盆休みの頃からである。2年前に行きつけの動物病院で貰って来た白い猫で、名前は“ピッツァ”、通称“ピー”である。鳴き声は「ニャア」ではなく、「ピー」と鳴く、「ピー、ピー」と呼ぶと「ピー、ピー」と応える人懐こいやつだ。たまに外泊をする事はあっても、朝には「ピー、ピー」と鳴きながら帰って来て、餌を“ワッシ、ワッシ”と勢いよく食べた。丸1日帰って来ないので嫌な予感がした。3日、4日と経つと落ち着かなかった。妻や息子も同じく落ち着かない様子だった。7匹いても、一匹でも居なくなると喪失感は大きい。近所の人から「可愛いからと誰かが連れて行ったのでは」と言われたが、とても許せる事ではないが、これなら何処かで元気でいると思い、悔しいがなんとか我慢が出来る。お盆なので、普段は開けない納屋とか蔵に入り込んでしまい、知らずに閉じ込められたのではなどと、暑い日が続いていたので、これが一番心配だった。居なくなって3週間近く経ったが、「ピー、ピー」と鳴きながら帰って来るのを待っている。3ヵ月経っても、3年経ってもあきらめずに待っているだろう。と、ここ迄書いて気分が鬱(ふさ)いできたので書くのを止めた。

 

 翌日、私は田に入っていた。腰の辺り迄伸びた稲の間に頭を突っ込み、土の付いたまま根っこから雑草を引き抜き畦に放り投げていた。何度目かの時、放り投げた先を見ると白い猫が歩いていた。「あっ、ぶつかる」と思ったと同時に「ピー、ピー」と叫んでいた、白い猫も「ピー、ピー」と応えて鳴いた。庭にいた妻は急いで駆け寄り、抱き上げ家の中に連れて行った。

 

 “ピッツァ”が帰ってから2週間経ち、“ピー”も落ち着いた生活をしているが、以前みたいに遠出はしなくなり、せいぜい家の周辺で遊んでいる。帰ってからの3、4日は家から出ず、餌を食べては眠り、起きては食べるを繰り返していた。痩せてバサバサだった毛も、今は以前の様に戻って来た。居なくなっていた3週間、どの様な目に遭い、どんな冒険をして来たのか聞けるものなら知ってみたい。それにしても、今回の様に色々な事があるが、猫と一緒の生活はやめられない。

 

P.S.

 お盆の前にうちのホームページが新しくなりました。今迄、一部の方々から自分のパソコンでは見れない、スマホでは見れない等々のお叱りを受けておりましたが、それも漸(ようや)く解決しました。これは東京でデザイン会社を経営されている常連の片岡さんが御尽力をして下さったお陰で、スウェーデンの出張やらでお忙しい時期に、パソコンのパの字も知らない私を相手に、何とかお盆の前迄にと御好意でやって下さいました。誠に有難い事です。

潰れてない

 昨年の秋から、粒麗荘のホームページが全く更新されてはおりませんが、これは息子のパソコンの状態がよくないそうだからで、今月中には修理に出すそうです。もっと早くやれよ!!一部の方々から、粒麗荘はそれこそ潰れたんでは、などと御心配を頂きましたが、まだ潰れてはおりません。昨年もいつもの通り、雪の降る迄営業しておりました。本年も3月から今迄通りに営業を致します。

 

 今年も税金申告をするので、昨年度の売り上げを出しました。例年と殆ど変わらず、来られたお客さんは延べ300人位いで、売り上げは160万円程でした。ここから経費を引くと・・・それこそ潰れてもおかしくはないのですが、ライダーハウスみたいな宿をやっていると、お金では代えられないものがあり、それがあるので14年も続けてこられました。と云う事は、粒麗荘は今年の5月から、開業して15年目となります。15年前は、営業許可(保健所・消防署)が下りてはいないのに、息子が送った案内状で、“ジパング・ツーリング”が取材に見え、なんと、うちが特集記事になっておりました。それ迄のお客さんは、友人や、旅先で知り合った人達だったのですけれど、“ジパツー”効果は大きく、これを機会に、常連になってくれているお客さんが今でも大勢いらっしゃいます。当時は移住ブームでもあり、“つぶれそう”なんて名前もあり、雑誌、TV、新聞などの取材もいくつかありました。中には“どん底宿特集”とかなんとかの名前でオファーのあった取材もいくつかありましたが、お断りしました。

 

 昨年の秋に到頭NHKの受信料を払う事に同意しました。一人暮らしをしていた時はテレビは必要なかったし、結婚してもテレビは殆ど見ないで、酒を飲み歩いていました。私は昔から“オリンピック”や、“ワールドカップ”などは興味がなく見ませんし、”相撲”、”大河ドラマ”、“朝ドラ”なんかもまず自分からは見ません。若い頃、“本多勝一”さんの著書が好きで読んでおりまして、“NHK受信料拒否の〇〇”と云う著書もあり、NHKの担当の方々との不払いの理由の話し合いの時に参考にさせて頂きました。見てもいないし、欲しくもない(買ってもいない)ものに代金を払えと云うのは、押し売りと同じではないか。しかし、払う事にしたのは、ここ最近3つ程の番組を見る様になったからで、その一つは夕方6時52分からの“天気予報”で、これはリアルタイムで見ます。録画して見ているのが、“ビギナーズ”と云う5分間程の料理番組で、アニメショーンと実写での番組で、毎月テキストも出しているので何冊か揃えました。アニメのハツ江婆ちゃんが可愛らしく、しかも料理もビギナー向けなので分かり易く、BGMにジャズバイオリンのステファングラッペリが使われたりして、仲々面白いんです。又、もう一つ録画して楽しく見ているのが、“ブラタモリ”と云う番組です。と云う訳で昔とは異り、この歳になり、NHK番組でもお気に入りが出来たので、到頭、秋に来たNHKの人に、受信料を払うと言ってしまいました。でも東京オリンピックは自分からは見ないと思います。

 

 2年間一緒に住んでいた次男が、体調も元に戻ったと云う事で、昨年の暮れに愛猫の“ハク”と供に東京に戻りました。10年以上部屋で飼われていた“ハク”でしたが、ようやく部屋以外の空気に慣れ、部屋から出たり、外に行ったりと自由に生きていたのですが、又、部屋猫になってしまいました。しかし、元々部屋飼いの“ハク”だったので、すぐにその生活には慣れた?(諦めた?)らしいです。そのままここで生活をしていたら、大変かもしれないけれど、自然と対峙した生活をして、経験を積んだ事でしょう。現在、猫は7匹おりますが、その内の3匹はまだ子猫なので、2階の部屋だけで生活をしております。その子達が来てから、前からの住猫の“ウララ・モモ・タロサ”の3匹は2階には滅多に行かなくなりました。2年前に子猫でやって来た“ピッツァ”こと“ピーちゃん”は、2階でしばらく生活をしていたので、たまに2階に上がって行きますが、直ぐに戻って来て、下の部屋でマイペースに寛いでおります。この若い“ピーちゃん”の動きを見ていると、今は落ち着いた生活をしている下の3匹の老猫が若かった頃の動きが彷彿と思い起こされ、懐かしく、楽しい気持ちになります。2階の3匹の子猫達は、この春には徐々に外に慣れさせると、飼い主の長男は言っておりますが、その若い3匹が突然に雪崩れ込んで来たら、若い“ピーちゃん”はともかく、老猫3匹の落ち着いた生活はかなり乱されると思われます。-はたしてどうなる事やら。

 

 なにはともあれ、この春、3月からは通常営業をしますので、おいで下さい、お待ちしております。

新米情報

 久々のおやじ便りとなりました。毎月載せるつもりでいたのですが、なんだかんだと忙しいのと、体力・気力の衰えのせいか、仲々書けませんでした。

 今夏の異常な気象はこちらも例外ではなく、越して来て14回目の夏ですが、こんな暑さは初めてでした。6月末頃〜8月一杯、30度どころか35度を越す日が何日かありました。来られるお客さんも「バイクに乗っていても暑すぎて楽しくない」と仰る方が何人もいました。米や野菜を作っている者にとってはうらめしい天候で、特にトマトの出来が良くなく—下手くそな私共だけではなく—御近所の人達も苦労をしている様でした。

 

 こんな天候ですが、今のところ米はなんとか順調に育っており、高温のせいかいつもより早い様な気もします。早生種のモチ米・秋田小町は9月の22、23日頃には稲刈りが出来そうで、天候さえ良ければですが、2週間程天日干しした後、10月6、7日頃には新米をお出し出来るかもしれません。コシヒカリは9月末頃に稲刈りをする予定で、これ又天候次第ですが、10月中頃には新米をお出し出来そうです。

 

 次はチーズ好きの人にお薦めの酒のつまみ

 私は長年晩酌にはウィスキーを頂いているのですが、つまみにはチーズ類が好きで、何種類かのチーズだけをトッピングしたピザは好物です。最近のマイブームなチーズ・サンドを紹介します

 10枚切りの食パンを2枚、オープントースターに入れ、温まったら取り出しバター(マーガリン)を塗り、スライスチーズ(チェダーと普通の)を乗せ、ベビチーズ(ブラックペッパー)を8等分し、2ヶづつ角に乗せ、再びトースターに入れます。少し温めた後二枚を重ね焦げ目をつけます。出来たら、4等分し、それを食します。これはチーズ好きにはこたえられない旨さで、特にブラックペッパーがそれこそ良い味を出しています。ブラックペッパーのベビチーズがない時は他のベビチーズを使い、ブラックペッパーをパンの上にふりかけます。カマンベールチーズをちりばめても旨いです、なにせ3種類以上のチーズをはさみたいです。

 

 チーズ類の他にも果物をつまむのが好きです。特にイチゴとかブドウがウィスキーには合う気がします。今年の6月には自分達で作っているイチゴが毎日そこそこ収穫出来、毎晩2、30粒程つまみにしました。1ヵ月程続きましたが、気のせいかその時期は肌のツヤが良くなったような気がしました。8月に入って少し収穫のあったメロンもしばらくつまみにしました。今スイカが余り気味なのですが、スイカとウィスキーはあまり相性が良いとは云えない様です。これからの楽しみは去年あたりから実が成り出したブドウ(巨峰)で、来週あたりからつまめそうです。

 

 粒麗荘サイトの“お知らせ”でもお伝えしておりますが、 9月から宿泊費を500円値上げさせて頂きます。これは食材費の高騰もありますが、寝具類や作務衣等の備品購入の貯蓄にあてる事になります。現状の食事の提供や寝具類の補充戸等々のサービスを維持する為に決めさせて頂きました。

 

 先週一番若い猫の“ピッツァ”が蛇に顔を咬まれました。すぐに病院に連れて行き処置をしてもらったので、咬まれた所が腫れた程度で済みました。最初見た時はタヌキかハクビシンから受けた怪我かと思ったのですが、病院で蛇だと言われました—何蛇か分らない—蛇に咬まれるとすぐに腫れだすそうで、怪我との異いが分るそうです。一番年寄りの“ウララ”も若い頃マムシに脚を咬まれた事があり、一日いなくなった為病院に連れて行くのが遅くなり、少し大変な事もありました—マムシは壊死毒—咬まれた所が腫れた後出血をし、しばらく毛が抜けたままでした。

 若い頃、沖縄の西表島で、私が海岸で捕まえたハブをその当時島に住んでいた友人が自分の庭でいたぶったいた所指先を咬まれました—ハブは神経毒—。診療所では大した治療はなく—注射もしなかった—、友人は一晩中唸って転げ回っていましたが、朝になりケロッとしていました、しかし腕はポパイの腕になっていました。おまけにその日の夕方、彼は訳あってドーベルマンに足を噛まれました。全くの阿呆です。友人の名はダニエルと云いカナダ人です。独自の正義感を持つ彼は、今生きていれば、海外の紛争地帯の何処かで大酒を喰い阿呆な事でもしながら生活をしているだろうと思われます。

 

2018年8月末 粒麗荘・おやじ

復活

 何年振りかで“おやじ便り”を復活する事にしました。いやになって止めていた訳ではなく、私はパソコンやスマートフォンなどのデジタル物が苦手なので、レポート用紙に書いた文章を息子にHPに掲載して貰っていたのですが、その息子の元々忙しい仕事(介護福祉士)がさらに忙しくなり、おやじの駄文などに構ってられなくなったので止めました。
 この春で、12年間やってきた地元の保育園バスの朝、夕の添乗員の仕事もなんとか終了させて貰い、多少の時間の余裕も出来そうで、苦手なパソコンを教わりながらチョコット構ってみようかと−自分で文章を載せる程度−思い、“おやじ便り”を再開する事にしました。
 その昔、ワープロが出だした頃、定価の半値で買い、3日3晩酒を飲みながらやりまくり、4日目にはさらに上の機種が欲しくなり、字の下手くそな弟を騙して買った値段で下取りさせようと思い、「ミミズののったくった様な字の請求書じゃあ誰も金を払う気にならんぞ、定価の半値で売ってやる」と誘ったのですが、何故か怪しまれ上手くいきませんでした。と、まぁその様に若い頃はデジタル物にも多少は付き合ったのですが、年を取り憧れの田舎暮らしをやり出したら、軽トラだ、田植機だ、ほら草刈り機だ、やれチェンソーだと、様々な機械や道具を使う羽目となり、どんどんデジタルとは縁遠くなり、とうとう完全なアナログおやじとなりました。

 今年は特に忙しかったゴールデンウィークでしたが、天気もまぁ良かったので殆どキャンセルも無く、連泊のお客さんも多く、なんだかんだと延べ75人程の宿泊がありました。ありがとうございました。
 今月は東京に行く用もあったり、年間の二大イベント(米作りと薪)の田植えも行う予定で、その準備で忙しくなりそうです。
 薪の方は3月末の雪が残っている時に、近所に住む一回り年上の師匠(米作りと薪)と供に山に入り、抱えきれない太さのブナとナラの木を4本切り倒し、40cm程の長さに切り庭に積み上げており、他にも移住仲間と供に廃業するリンゴ農家の木も切りに行き庭に積んであります。来月あたりからそれらの木を割って薪にします。去年は薪が足りず2万円程買いましたが、今度の冬は充分過ぎる程の量となりそうで、まるで貯金が増えた−本当の貯金には縁がないが−かの様で嬉しいです。

 五匹に増えた猫達ですが、約一匹を除いてそこそこ仲良くやっております。生まれて約1年経った新参オス猫の“ピッツァ”は、体は12才のオス猫“タロサ”と同じ位になり、体はデカいけれどまだまだ子供で、相手構わず体当たりをしたりとチョッカイを出しており、最初の頃は怒っていた先輩猫達も、約一匹を除いて、最近は「あー、またかぁ、ころやろめぇー」と云う感じで諦めている様子です。
 その約一匹ですが、1年半前に東京から越して来た次男がマンションで部屋飼いをしていた“ハク”と云う名の13才のオス猫で、突然の環境の変化に戸惑い、本人も他人も色々と大変でしたが、まだまだ人(猫)見知りはしますが、外で遊んだり、自分専用以外の餌を食べたり、部屋のあちこちにマーキングの小便をかけたりと、そこそこに慣れてきたようです・・・でもヤツの小便は臭い。

P.S.
 復活と云えば、連休前に“粒麗荘Tシャツ”も3年振りにリニューアルし復活しました。“おやじ便り”はリニューアルの仕様がないので前のままですが・・・。Tシャツは今のところ16着売れています。

 

※粒麗荘サイトで2018年5月9日に公開したものです。