粒麗荘も後何年・・・

 年明け早々に大変な事が起こりました。国内だけではなく、海外でも異常気象や戦争など色々な悲劇が続いており、これでアメリカの大統領にあのオッサンがなってしまったら・・・、心から楽しんで過ごすと云う事が出来づらい今日この頃です。若い頃から酒を飲んだ時は、政治と宗教の話はしないと言ってきた私ですが、最近は更にそう云う思いが強くなりました、でないと酒がまずい。

 しかし、今年も粒麗荘に来て頂いたお客さん達とは、夢の抱ける明日を期待しつつ、楽しく酒を酌み交わしたいと思っております。

ーここからおやじ便りー

 今年の5月で越して来て19年目となる。当時はまだ53才であった、この秋にはもう73才になる。

 昨年、思いもかけず旧友からハーレーを譲り受け、改めてバイクに目覚めさせられた私だが、案の定、近所の坂道で左折しようと一時停止をした時に立ちゴケをしてしまった。バイクは無事であったが、泳いで体力維持に努めているのだが、やはり年なのだろう、起こすのに時間がかかり、多量のオイルが漏れ、それが路面に跡となり、何ヶ月も残ってしまった。毎日必ず通る道なので、その黒く残った跡(まるで人身事故のあった様な)を見る度にヒンヤリしていた。

 外で景色を見ながら酒を飲んでいて、後、何年バイクに乗れるのだろう、何年米を作っていられるのか、後、何年この景色の中に居られるんだろうなどと、ふっと思う事がある。

 

 昨年、なじみのお客さんお二人の訃報が届いた。

 お一人はN村さん。最初に来られたのは2009年、御夫婦それぞれのバイクで来られた。年に2、3回利用して頂いた。最後に来られたのは一昨年の秋、亡くなられたのは昨年の春。静かな人だった。

 もう一人の方は、私が東京でお世話になったバイク店のオーナーU田さん。2010年から御家族やお仲間の方々と年に2、3回来て頂いていた。ドローンでうちを撮影してくれ、それをネットで紹介をしてもらったりもした。うちで唯一団体貸し切りをさせて頂いたグループの長。静かな力を感じられる方だった。

 お二人共私より若かった。20年近く宿をやっていると常連さんで亡くなられた方が何人かいる。

 開業以来のお客さんで2013年に亡くなられたY羽さん。

 2007年から7年間来られていた、通称Gタさんはバイク雑誌に旅の寄稿をしていた。

 やはり初期の頃から来られていたI本さん。年に5、6回は来られていた。逆輸入車の大型アメリカンを軽々と扱っていた。亡くなったのは2014年。その前年は毎月来られていた。

 2010年から2016年の間、年に10回以上は来られていたY田カエル先生。それこそ週末になるとうちにいるという感じであった。やはり若い頃からバイクに乗っていて、その知識はハンパではなかった。

 皆さん、泉下においてもバイクに乗り、酒を楽しんでいらっしゃる事でしょう。そのうち私もお仲間に入れて下さい。

 

“酒の一杯は健康のため、二杯は快楽のため、三杯は放縦のため、四杯は狂気のため(紀元前6世紀・スキタイの哲学者アナカルシス)” 一緒に五杯目行きますかぁ!

以上新年の御挨拶