夕食を提供出来なくなった
お知らせでお伝えしました様に、8月から夕食をお出しする事が出来なくなりました。一番の理由は妻の体調です。この2、3年程前から連休やお盆休みなどでお客さんが続くと、妻が足、腰の痛みを訴える様になりました。ありがたい事に今年の連休も10日間、毎日お客さんに来ていただきました。一段落して妻から、台所で立っていて足、腰がしびれて痛かったと言われました。その様な訳で、夕食の提供を断念しました。
又、毎日何十人とお客さんに食事を出す食堂などと異い、うちは週何人かのお客さんなので、その都度スーパーで食材を購入しています。食事を提供しての利益は殆ど考えてはおりません。
私も未熟ながら米を作っておりますし、うちでの食事を楽しみにしてくれているお客さんもいらっしゃいます。朝食は今迄通りにお出ししていきたいと思っています。
ーここからおやじ便りー
食事を提供出来なくなると云う事は、うちみたいな宿としては一歩後退した事なんだと思う。うちのから「チョットつらいから、夕食はかんべんして」と言われた時は、言い争いになった。納得がいかなかったので、営業を止める事も考えた。この7月に5年毎の保健所の更新もあり、これが結構めんどうなので止めるには丁度良いかなとも思った。その後二人で話し合い、もう少しやって行こうと云う事になった。私としても、もうチョット皆さんと一緒に酒を飲んでいたいと云うのが本心で、後何年やっていられるのかは分からないけど、一年々々お客さんとの付き合いを大切にし、楽しんで営業していきたいと思う、勝手ながら。
もしもあの世があるのなら
最近、米の価格が異常に上がっているようですが、休耕田をお借りして、自分達が食する米を趣味で作っている私にはあまり関係のない事だと思っていました。東京に住む娘家族や息子、弟の家には年に数回送っていましたが、昨年は、温暖化による高温被害で米の収穫量は悪かったので、今年は思うように送る事が出来ません。こういう時にこそ定期的に送りたいのですが。趣味で作ろうと、仕事で作ろうと、量も質も天候次第なのでです。
先日、“令和の百姓一揆”だとかで、お百姓さん達が都内でデモ行進をしていたらしいですが、インタビューに答えて「百姓は時給10円だ」と言っていた方がいらっしゃいました。普通に米作りだけをしていたらそんな感じなのかと思います。うちは販売をしていないので(新米が採れた時はお披露目で、1kgを10袋づつ3種類用意していますが)、米作りは趣味なのです。オンボロ機械でやっているので大変ですが、楽しい事もあります。「お米が美味しかった」なんて喜んでもらえると、作り甲斐があります。
ーここからおやじ便りー
「カメム氏と寝た女」などと書くとなにやらミステリアスなタイトルだが、昨年の10月に常連の女性ライダーさんが、朝起きて布団を畳んでいたら、カメ虫が出て来たと云う、ただ、ただおぞましい話、うちは春と秋がお客さんの多い時期だが、カメ虫も多い時期、かなり注意をしているのだが、隙間の多いボロ屋なのでどこからか侵入して来てしまう、「カメム氏と寝た女」や「カメム氏と寝た男」にならないよう、お互いに注意したい。
来年の秋には後期高齢者とやらに分類されてしまうこの身なのだが、週に3、4日はジムのプールで泳いでおり、自分なりに体は鍛えているのだが(膝や腰はかなりガタが来ているが)、頭の方は仲々鍛えようがない。最近は読みたい本も殆ど積んだままだ。年を取ると云う事は体も頭も壊れて行くと云う事なのだが、自身のそれに気付いた時、どう納得し対応していくのかが大事でもあり、大変な事だと思う。『若い時は
1日は短く、一年は長い。年を取ると一年は短く、一日は長い』ベーコン(英哲学者)、とあるが、一年は短く、一日も短い年寄りはどうしたらいいんだ。
大好きだった猫のピーこと、ピッツァが突然死んでから一年が経ち、漸く彼が居ない事に慣れてきたが、夕方、外で酒を飲んでいて、横でうちのが「この時間になるとあっちの方からピーちゃんが何やらピー、ピー言いながら帰って来た」などと言うと、又無性に会いたくなってしまう。もしも、あの世とやらがあるのなら、先に逝ってしまった猫達や犬達と再び一緒に生活をしてみたい。前よりももっと可愛いがってやれるだろう。それと、やはり先に逝ってしまった友人達と「おい、元気だったかぁ」などと言いながら一緒に酒を飲んでみたい。前程の量は呑めないだろうが。
2025年4月15日 粒麗荘・おやじ
新米状況
有難い事に、我が家で作っている米を毎年楽しみにしていてくれる方々が何人かいらして、「今年の出来はどうだ」とか「何時、行けば食べられるのか」等々のお問い合わせが少なからずあります。正直云って、こればかりは天候次第ですので、20年近く米を作っていてもまだまだ素人の私には、これから稲を刈り、天日干しをし、脱穀し、精米した白米を見る迄は分かりません。なにせ、最近のこの高温状態が続く天候では如何ともし難いです。例年に比べ雑草が多く(田に入って抜いているが、追い付かない)、そのせいか株も細めで、収穫量は少ないと思われます。
稲刈りはそろそろ始める予定です(これも天候次第ですが)。来月(10月)の20日前後には新米をお出ししたいと考えております。天候次第で早くもなり、遅くもなります。
風
来年で粒麗荘も20年目となります。なんだかんだと云っても「あっ」と云う間でした。この先何年やっていられるのやら。そこで、今年からTシャツは自分で着てみたい物を作る事にしました。まずはUnited Athleのコットン100%・5.6オンスの黒で、ロゴの色は白と赤の2種類で50着注文しました(やはり値上げされていました)。黒のTシャツは何回かは作りましたが、最近はドライTシャツだったので、今回は綿100%に拘りました。これで“モモちゃん”に爪を立てられても糸がほつれる事はないでしょう。綿100%は猫対策なのです。今回はMサイズを少なくし、XLサイズを多めにしました。これは常連さん達の体型が進化し続けている事でそうしました。
次回もNEW・LIMITED(2025年春夏迄の)で気になっている物が何色かあります。
ーここからおやじ便りー
花粉やら黄砂などで騒がれていた3月の末に数ヶ月振りに車庫からバイクを出した。キャンデーズではないが、もうすぐ春なんだなぁ、などと感じられる陽気が続いていた。そんな時の4月2日の昼、ピーことピッツァが死んでしまった。原因は分からないが、車に当たったのではないかと思われる。この日の朝も元気で寝惚けてソファーから落ち、そのまま下で眠ってしまった。それを見てからバイクでプールへ泳ぎに行った。帰ってしばらくして、隣のお宅の畑で死んでいるのを発見された。抱いた時は、まだ温かく柔らかった。病気や老衰だと、ある程度事前に覚悟はしておかなくてはいけないんだろうが、突然の事だった。1ヶ月以上経った今でも、寝惚けて落ちたソファーにはピーの毛が少し残っている。猫毛はコロコロで取るのだが、したくはない。今迄何匹もの犬や猫との別れがあったが、年のせいだろうか、それとも気の合う友人や、常連さんが続けて亡くなったりしているせいか、今回の予期せぬ別れは結構つらい。
最近、何かで読んだのだが、歌人の木下龍也さんの作で「愛された犬は来世で風となり あなたの日々を何度も撫でる」。この「犬」の所を「猫」又は「人」と変えてもいいのではなかろうかと思うのだが・・・。良い風が吹くと愛した者を思い出す。
2024年5月13日 粒麗荘・おやじ
懐かしい写真
いよいよ当地もオートバイの季節となってきました。この冬は、今迄にない位いに雪は少なかったのですが、今月(3月)に入ってから、駄目押しが続くのかのごとく雪が降りました。ただ、今の時期の雪は、朝20cm位い積っていても、日中天気が良ければ夕方には殆んど消えていますし、道路も乾きます。
長男が時間を取れる様になったので、粒麗荘のホームページのアルバムの写真を過去に遡り、全部を復活しました。又、一昨年と昨年のアルバムも出来ました。懐かしい御自身や、懐かしい方々を御覧になって下さい。
ーここからおやじ便りー
19年も昔(?)からの写真を見てみると、大勢の人達との出会いがあったのに改めて驚かされる。仲の良かった常連さんで、亡くなられた方も何人もいらっしゃる。「年だから、バイクを降りる」と、わざわざ連絡をくれた人も何人かいた。それこそ大昔に初めて出会い、今でも来てくれている人も何人もいる。又、久しく会っていない人も大勢いる。
年のせいか(嫌いな言葉だが)、物覚えが悪くなったのだろう、久々に会い、相手の方は「御無沙汰です」と親し気に話しかけてくれているのに「誰だっけなぁ〜」、しばらく一緒に飲んでいるうちに「あーっ!3年前の彼かぁー」と•••、最近はままある。この様な宿をやっていると、お客さんとは一緒に飲んだりして距離が近くなる、気の合う人とは互いに昔からの友みたいな感じになる。又、何十年振りかで再会 ー 宿をやっているので来てくれたと思う ー して、以前より仲が良くなったりした友もいる。
昨年の11月に「もう、バイクを降りるので最後の遠出に、上村、お前の所に来た」と、中学時代からの友人がやって来た。やつとは2006年に40年振りに再会してから、中学時代より仲良くなった。たまたま同じウィスキーが好みで、音楽、読書の趣味も似ていた。やつと飲んでいる時は、居酒屋や小料理屋ではなく、落ち着いたBarで飲んでいる様な感じで楽しかった。先日、よく一緒に来ていた彼の奥さんから「上村さん、主人が亡くなった」との電話があった。楽しみを一つ失ってしまった。
それこそ後何年、こんな宿を続けられているかは分からないけれど、わざわざうちに来られたお客さん達とは、一緒に飲む酒は楽しく飲みたいと思う。
P.S. アルバムの写真は基本的に私が選んでおり、又、そこのコメントは私が書き、長男に載せてもらっております。
粒麗荘も後何年・・・
年明け早々に大変な事が起こりました。国内だけではなく、海外でも異常気象や戦争など色々な悲劇が続いており、これでアメリカの大統領にあのオッサンがなってしまったら・・・、心から楽しんで過ごすと云う事が出来づらい今日この頃です。若い頃から酒を飲んだ時は、政治と宗教の話はしないと言ってきた私ですが、最近は更にそう云う思いが強くなりました、でないと酒がまずい。
しかし、今年も粒麗荘に来て頂いたお客さん達とは、夢の抱ける明日を期待しつつ、楽しく酒を酌み交わしたいと思っております。
ーここからおやじ便りー
今年の5月で越して来て19年目となる。当時はまだ53才であった、この秋にはもう73才になる。
昨年、思いもかけず旧友からハーレーを譲り受け、改めてバイクに目覚めさせられた私だが、案の定、近所の坂道で左折しようと一時停止をした時に立ちゴケをしてしまった。バイクは無事であったが、泳いで体力維持に努めているのだが、やはり年なのだろう、起こすのに時間がかかり、多量のオイルが漏れ、それが路面に跡となり、何ヶ月も残ってしまった。毎日必ず通る道なので、その黒く残った跡(まるで人身事故のあった様な)を見る度にヒンヤリしていた。
外で景色を見ながら酒を飲んでいて、後、何年バイクに乗れるのだろう、何年米を作っていられるのか、後、何年この景色の中に居られるんだろうなどと、ふっと思う事がある。
昨年、なじみのお客さんお二人の訃報が届いた。
お一人はN村さん。最初に来られたのは2009年、御夫婦それぞれのバイクで来られた。年に2、3回利用して頂いた。最後に来られたのは一昨年の秋、亡くなられたのは昨年の春。静かな人だった。
もう一人の方は、私が東京でお世話になったバイク店のオーナーU田さん。2010年から御家族やお仲間の方々と年に2、3回来て頂いていた。ドローンでうちを撮影してくれ、それをネットで紹介をしてもらったりもした。うちで唯一団体貸し切りをさせて頂いたグループの長。静かな力を感じられる方だった。
お二人共私より若かった。20年近く宿をやっていると常連さんで亡くなられた方が何人かいる。
開業以来のお客さんで2013年に亡くなられたY羽さん。
2007年から7年間来られていた、通称Gタさんはバイク雑誌に旅の寄稿をしていた。
やはり初期の頃から来られていたI本さん。年に5、6回は来られていた。逆輸入車の大型アメリカンを軽々と扱っていた。亡くなったのは2014年。その前年は毎月来られていた。
2010年から2016年の間、年に10回以上は来られていたY田カエル先生。それこそ週末になるとうちにいるという感じであった。やはり若い頃からバイクに乗っていて、その知識はハンパではなかった。
皆さん、泉下においてもバイクに乗り、酒を楽しんでいらっしゃる事でしょう。そのうち私もお仲間に入れて下さい。
“酒の一杯は健康のため、二杯は快楽のため、三杯は放縦のため、四杯は狂気のため(紀元前6世紀・スキタイの哲学者アナカルシス)” 一緒に五杯目行きますかぁ!
以上新年の御挨拶
古希を過ぎてハーレー乗りに••• 〜後編〜
〜前編の続き〜
マフラーを探してくれると言ってくれた常連さんは、御自身も前からハーレーに乗っていて、現在も“エレクトラグライド”に乗っている。その彼から先日「上村さんの好みに合いそうなマフラーが見付かった」と嬉しそうに連絡があり、すぐに来てくれた。マフラーを交換する作業も、メカに弱い私にでも理解出来る様に行ってくれた。そして、その交換したマフラーの音は「えっ!!え〜!えー」であった。
目の前の田や畑、周囲の山々、色々な心安まる景色の中にうもれて生活していると、車もバイクも日常の移動の足であり、大型バイクでも特別なものではなかった。
だが、ハーレーに乗らせてもらうことになり、久しく忘れていたバイクに乗る緊張感、そして喜びを本当に久々に感じる事が出来た。ようやく、私もこの年になってバイク乗りの一員になれたのかな•••、そして後何年乗っていられるのか•••?
P.S. 今迄乗っていたバイクは、東京の次男が乗ってくれる事になり、彼は今大型の免許取得に行っている。