ツマミの王者

 残念ながら未だに営業を自粛をしております。うちでは“ソーシャル・ディスタンス”とやらを厳密に出来そうもないし、それをやる気もないからです。

 常連の方々からは心配をして電話を頂いたり、近く迄来たからと寄って頂いたり、先日は、福井の「べこ亭」のオーナー夫妻は友人と一緒に、わざわざ日帰りで訪ねてくれました。それこそ皆さん“粒麗荘”は“潰れそう”なのではないかと気に掛けてくださっている様で、有難い事です。

 皆とワイワイと楽しくお酒を飲める様な世相になりましたら、すぐに営業を再開させて頂きます。

 

—ここからおやじ便り—

 営業をしていないせいもあり、時間が取れるので、農作業の合間に、週に3、4回スポーツ・ジムへ行き泳いでいる。バイクで往復1時間半程かけ、プールを10往復し(500m)30分弱泳ぐ、もっと長く泳ぎたいのだが、若い頃からの重厚喫煙の所為か、タバコを止めて10年近く経っても、泳いでいてすぐに息が上がってしまう。タバコだけではなく、年の所為でもあるだろう。

 もうすぐ69歳になる、一年もすると古希である。還暦を過ぎた頃は白髪が目立つ様になった。最近は大分髪が薄くなって来た。白だろうが、赤だろうが、何色であろうと髪にはもう暫く残っていて欲しいものだ。

 「老齢を堪え難くするものは、精神や肉体の衰えではない、想い出の重荷である」S・モーム。20年程前の映画で、デヴィッド・リンチ監督の「ストレイト・ストーリー」と云う好きな作品がある。73歳の爺ちゃんが、時速8kmのトラクターを運転し、喧嘩別れした兄に会いに行くと云うロード・ムービィ。旅の途中のキャンプ場で、主人公が若い人達に「年を取ってつらい事は」と聞かれ、「年を取っても、若い頃の事を忘れない事だ」と答えるシーンがある。自分が年を取った今、たしかに若い頃の楽しかった事、頑張った事(あまりないが)、胸をときめかせた事(これはよくあった)はよく覚えているし、同じ体験はもう出来ない事も分かっている。多少淋しい面もあるが、昔も今も好き勝手に生きているので、特につらいと迄にはいかない。

 

 稲刈りも終わり、稲を“天日干し”している。毎年手伝いに来てくれていた“協力助っ人”の“援農隊”のメンメンも“コロナ騒動”で来れず、田植えや稲刈りも殆んど一人でやった。今年は7月の長雨、8月の猛暑で農作物には色々と影響があった。うちだけではなく、周辺のお宅の稲も収穫前にベターと倒れてしまった。これをいちいち手で起しながら刈るので、いつもの3倍以上の時間が掛かった。又、スイカとトウモロコシの出来も良くなかった。苺もいつもなら1ヵ月程はイヤと云う程食せたが、今年は2週間程で終わった。葡萄(巨峰)は実が成り出してから袋をかけ、収穫を楽しみにしていたが、何者かに(ハクビシンかも)袋を破られ、殆んど食べられてしまった。苺も巨峰も酒(ウィスキー)のツマミとして好きなので、規格外の物を安く買って食している。自分で作って収穫出来ても規格外なので、手間を考えると買った方が安いのだが、自分で作った物をサカナに一杯やると云うのがやりたいのだ。

 ツマミと云えば、これからは“牡蠣フライ”、揚げたてを3個程頂戴し、2個はウスター・ソースで、1個はタルタル・ソースで、黒ビールも良いが、やはり、濃い目のハイボールが一番。年中食べられるツマミでは“焼売/シューマイ”、温かいやつを3、4個、ビールにも合うが、ウィスキーにも合う。偶然にも私と同じ銘柄のウィスキーを愛飲している女性ライダーさん、今は2児の母となり、家族で年に数回遊びに来てくれるが、彼女が横浜の有名な“焼売”を持って来てくれた。それ迄は“シューマイ”はスーパーで1箱100円程の物をたまに買って食していたが、別段感動はしなかった(これ位で感動していられれば安上がりなのだが)。しかし、あの有名な“焼売”を食した途端、昔の“焼売”の味が蘇った。最近では妻も時々、“焼売”を作ってくれる。私にとって“牡蠣フライ”がツマミの海の王者なら、陸の王者は“焼売”ではないかと思われるが、いかがなものか・・・。

 

—終わりに—

 秋に収穫した米を「新米」と呼べるのは年内中で、年が明けると「新米」とは言いません。嬉しい事にうちの「新米」を毎年楽しみにしてくれているお客さんが何人かいらっしゃいます。今年はいつにも増して苦労をして米を作りました。「新米」を食べてもらえないのは非常に残念です。

 

2020年10月15日 粒麗荘・おやじ